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郷土守山に学ぶ研修講座Ⅱ 平成29年6月22日(木)午後1時30分から午後4時まで
ちょっと拝見 今浜のまち       
-ハマヒルガオ見学とお満灯籠-

「湖岸に咲くハマヒルガオを守る会 会長」 北川佳二さん

 

-ハマヒルガオを湖辺に育てようと思った経緯などは-
 定年退職後、シルバー人材センターから管理の仕事に携わっている時、友人からハマヒルガオの保全・育成をやってみないかと声をかけていただき、活動を続けていく中で馬渕会長の後を受け(現名誉会長)、現在にいたっています。


『ハマヒルガオは本来海辺の砂浜に生育する海浜性の植物で、淡水の琵琶湖岸に生育していることが興味のあるところである。なぜ海浜性の植物が淡水の浜辺にという疑問が生じるが、日本一の大きさをもつ琵琶湖の湖岸の環境が海辺の環境と似かようところがあるのではないかというのも要因の一つにあげられている。

守山市の琵琶湖岸なぎさ公園付近でのハマヒルガオの生育状況は1980年~1981年に守山市教育研究所が実施した湖辺地域の植生調査(担当所員 故 中村一雄)で確認、発表されている。この研究調査の発表を契機に、なぎさ公園付近に自生するハマヒルガオへの関心が高まり、その保護活動への気運が芽生えることになった。(ハマヒルガオの群生地から抜粋)』


-ハマヒルガオを育てるにあたり課題や苦労している所は-

台風の後には一面が水没したり、砂浜に土が混ざって雑草が増えるなど困難な状況に陥ったり、ハマヒルガオを好んで寄生するアメリカネナシカヅラが繁殖するため、その駆除などをしています。

会員は現在30名程度で各自治会当番制による美化活動を行っています。

速野学区民のつどいには、ハマヒルガオ饅頭の取り組みや展示を予定しています。

また、もりやま環境フェアーなどへ参加を促しながら「ハマヒルガオ」の啓発活動を積極的に行っていこうと思っています。

-ハマヒルガオの将来構想や速野学区について何かありますか-

継続して保全育成に努め、ハマヒルガオをもっと増やしたいと思っています。

速野学区は自然が豊富であり、多くの歴史資産もある。そういったものを大切にしながら日常生活の中でそれらを感じることが大切ですね。

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取材後記
 湖岸にハマヒルガオの看板が置いてあり、そこには「ハマヒルガオは海浜性の植物であり、昔、琵琶湖は海とつながっていた」という文言を見つけ調べてみると二つの説があることに気づいた。一つは琵琶湖が発生した所は伊賀上野地区で、鈴鹿山脈の河川が伊勢湾に流れていたことがあり海浜性があると。もうひとつは「近畿の丘陵」大阪市立大学理学部教授 市原 実 氏 によると古琵琶湖層群には、海成層はどこにもみいだせないと言っている。どちらが正しいか定かではないが、もし昔、琵琶湖が海とつながっていたら、、、。ロマンを感じるのは私だけだろうか?

ハマヒルガオ資料


 




お満灯籠資料


まちの由来(資料文化財保護課)

今浜

今浜は戸田の分れで、寛永(かんえい)年間(16241644)には石高が370石であったという記録があります。ここは湖岸地先で新田開発が実施され、新開農地が形成された場所で、お(まん)(とう)(ろう)にちなむ硫黄(いおう)夜祭(やまつり)」が行われています。

 灯篭の名前の由来は、「お満」という娘が鏡村(かがみむら)へ興業に来た力士「比良村の八紘(はっこう)(やま)」へ思いを寄せる物語が基となっています。

 力士は、百夜の願行が成就すれば妻にしてもよいといって自分への思いをあきらめさせようとしましたが、お満は人目を忍んで今浜の燈篭崎(とうろうざき)からたらいで対岸に通い始めました。その姿を見た力士は恐ろしくなり、九十九夜に灯明(とうみょう)を消したところ、お満は強風で水中に葬られました。

 その後、たらいは蛇体(じゃたい)となって今浜の岸につき、村人がこれから硫黄を作ったという伝説から毎年旧暦2月24日に硫黄夜祭の的を作り、樹下(じゅげ)神社(じんじゃ)に献上されています。(樹下神社の硫黄夜祭伝説物語より)比良八(ひらはっ)荒荒れ(こうあれ)(じま)い」という季節風にちなんだ言葉も、この伝説に関連するものでしょう。

 今浜も野洲川に隣接していて、かつては洪水に悩まされていた地域ですが、(はてい)防ぐ

ために粘土質の土を堤防の根本に貼り付けて補強されたようです。現地には、その記念碑が残っています。



コース紹介
エルセンター→ハマヒルガオ見学(美崎公園で講話)→お満灯籠→エルセンター

受講生の声
・お満灯籠は何気なくみていたのですが、案内していただきわかりました。
・ハマヒルガオの群生を期待していたのですが、時期がずれていたので、見ることができ
なくて残念でした。来年は時期を見て見学に行きたいと思います。守山の自生植物この少し
機会に勉強できて良かったです。黒田さんのお話最高です。
・ハマヒルガオをたいへん楽しみに参加しました。自然のために花が少ないのは仕方がないことだと思いますが、あまりの少なさにがっかりでした。時期を少し考えていただけるとありがたい。



郷土守山に学ぶ研修講座Ⅰ 平成29年5月25日(木)午後1時30分から午後4時まで
ちょっと拝見 三宅のまち                 
 -ほたるの森資料館と国登録有形文化財北川家住宅土蔵の見学-

ほたるの森資料館長 中島正一 氏

館長の中島正一さんに取材を敢行しました。

-ホタルの魅力はどんなところですか-

ホタルはわずかな期間、飛翔します。多数乱舞しているホタルも良いのですが、一匹、数匹で飛んでいる一瞬の輝きに永遠を感じます。幻想的で良いですね。

-館長になられて、抱負や課題などお聞かせください。-

ホタルの住める河川にしたいと思っています。今、そのためにさまざまな取り組みを開始しております。例えば「もぴかプロジェクト」の活動です。5,6年前からプロジェクトを立ち上げ、今年は「ほたるの森資料館」のAゾーンにホタルの幼虫を200匹放流しました。(ちなみに「もぴか」とはなんですか?との問いにホタルを知ってもらうキャラクターとのことでした。)また、資料館周辺の木を伐採し太陽の光を浴びた河川にしています。

ホタルの河川環境づくりとして、守山学区、吉身学区などの公民館に、ホタルの水槽を設置しており、カワニナなどを入れて育ててもらっています。今年は50匹程度学区の川に放流しました。市民の方の目線に“ホタル”を知っていただきたいですね。


-守山をどんな町にしたいですか-

ホタルの住めるまちづくりですね。ほたるの森資料館に来られる県外の方が「市街地に多くの川があるのは珍しい。」とよく言われます。その川を守り育てていく。ホタルの住める川になるよう取り組んでいきたいと思っています。

老若男女問わず、町を歩いていると、やはり川を見てしまうのですね。川には魅力がありますね。

取材後記

古高自治会長でもあり(2回目)、ほたるの森資料館長でもある。活躍の場がかなり広い。温厚で、誠実な人柄に温かさを感じるのは私だけではあるまい。怒った顔をみたことはない。大事なことを忘れていました。教育研究所の運営委員長でもある。

琵琶湖保全再生法が施行されて2年、クリーンエネルギーや環境問題がクローズアップされている。身近な所から、できるところから環境問題に取り組みたい。そして将来ホタルがさらに飛び交う守山を想像したい。

ホタル資料

   
 ほたるの森資料館



国登録有形文化財北川家土蔵 北川 茂喜さん


快活な印象、先祖代々北川家を守ってこられたという風貌を感じる。守山市で国登録有形文化財第1号となった経緯など縷々取材させていただいた。

 小雨の中、通りかかった人に「国登録有形文化財になった北川さんのご自宅をご存知ですか?」と問いかけると「そこの通りを左にいったところや」と即答であった。

かなり地元で知られていらっしゃるという思いを胸にご自宅に向かった。

-国登録有形文化財になった経緯は-

膳所城展に行ったとき、偶然にも家の瓦と同じ形のものが陳列してあり、不思議に思い、市の文化財保護課に問い合わせたところ、これは貴重な土蔵であるかもしれないと言われ、後日、県の文化財保護課の職員も来ていただき、文化庁登録部門担当者の実検の結果、三宅という集落内での北川家の蔵が他に見当たらない立派なものである一方、街道や交通の利便、水路交通も含め、十分国登録有形文化財に値するという結論に至った。ということです。


-国登録有形文化財の特徴は-

 建物の屋根を支える骨組みには梁を用いず、厚みが45センチメートルほどの大きな母屋桁を張るという特異な構造です。

-どうやって膳所から守山まで建物を運んだのでしょう-

 解体して骨組みだけを船路と陸路と両方から運んだと聞いています。


-ご自宅が国登録有形文化財になって、今までと変わったことはありますか?-

そんなに生活が変わったということはありませんが、電話等で聞いてこられる方には丁寧にお答えしています。

-三宅のまちについて何か感じていらっしゃることは-

 自治会活動が活発です。里中河川は昔、汚れが多かったのが現在、きれいな川になりコイがゆうゆうと泳ぐ環境になりました。自治会みなさんの協力の賜物です。また、蓮正寺や薬師堂など歴史資産も多い土地柄です。自然環境や歴史資産を後世に残しておきたいですね。

取材後記

みやけフォームの近江米「みずかがみ」が平成28年度「みずかがみ」食味コンクールで2度目の優良賞を受賞された。代表が北川 茂喜さんである。3月15日号の「広報もりやま」に市長とともに掲載されている本人を発見。「来年度はさらに上のランクの賞を目指して、、、。」というコメントに意気込みが伝わってきた。


北川家土蔵資料

 

       
北川家土蔵      


   
   



もりやまの町の由来(文化財保護課) 

三宅

 日本書紀の安閑(あんかん)天皇2(525)年の条に「(あし)(うらの)屯倉(みやけ)」の記録があり、その範囲は草津市芦浦町から三宅町を含む一帯であったと考えられています。蓮生寺(れんしょうじ)の伝承によると「()(とう)天皇7(693)年に都賀山(つがやま)のふもとに(こさけの)(いずみ)が湧き、このときに(いち)()の薬師如来を造った」とあり、同町薬師堂に安置された薬師如来(国指定重要文化財の木造仏頭)がそれであろうという説があります。また、蓮生寺は山号が都賀山であることから、古くから益須寺(やすでら)の推定地の一つとなっています。本堂は元和元(1615)年に再建され、それ以前は長楽寺(ちょうらくじ)と呼ばれており、近世初期の真宗寺院建築を示す県指定建造物です。慶長年間になって、長 楽寺屋敷は要衝の地として代官駒井猪之(こまいいの)(すけ)を置いたことが残されています。蓮生寺とその付近には三宅城跡を示す土塁があり、寺へ通じる道も約100mほどで数回屈曲し、まっすぐ進めない道路となっていて、中世三宅城の痕跡だと思われます。

 (しょう)養寺(ようじ)は、元は天台宗で(しょう)林寺(りんじ)といいましたが、中世に真宗に転派しています。新羅(しんら)三郎(さぶろう)の16代の孫、青木(あおき)下野(しも)(つけのかみ)(ゆう)(せい)応仁2(1467)年に建立したと伝わっており、境内にオハツキイチョウの木があります。薬師堂にはかつて地中に埋まっていたという仏像の断片が多数保管されていて、大規模な寺院のあったことがうかがわれます。また、熊野神社は熊野信仰による和歌山県熊野神社の祭神を(まつ)っています。


コース紹介
エルセンター→ほたるの森資料館→国有形文化財北川家土蔵→エルセンター

受講生の声
・とても楽しかった。ホタルの色々なことがわかってよかった。
・知っているよう様で知らなかったホタルの生態。おもしろかったです。ホタルの幼虫があれほど貪欲にエサを食べるなんて少々恐ろしい。北川家など守山市でも知らないことが色々あることがわかりもっと知りたいと思いました。たいへんよかったです。
・ホタルのことが深く理解でき、これから見学するたび楽しみになりました。北川家についても、りっぱな蔵を見ることができ、昔の方の知恵のすばらしさも知ることができました。
・今回では北川家土蔵の見学は実にすばらしく、その見学の機会を与えていただいたことに改めて喜びを覚え感謝いたします。この歳になっても史跡や文化財・探訪のすばらしさ(興味)は止まらず、また、次の機会を得させていただければぜひ出席させてください。
・ホタルについて深く知ることができホタルの観察に興味がわきました。北川家の蔵については見学ができ喜んでいます。
・ホタルに関して詳しく説明していただき知らなかったことがたくさんわかって勉強になりました。今、ホタルの出る時期なのでまた、見に行こうと思います。
北川家の立派な土蔵を見せていただき、歴史を感じました。管理、維持が大変だなと思いました。貴重な物を見せてもらい参加してよかったです。

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